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三重塔

この記事では、安土城と同じ位置にある寺、摠見寺(そうけんじ)について解説します。

1) 摠見寺

安土城には、天主だけでなく「お寺」もありました。それも、ただのお寺ではありません。お城の中に本格的な寺院が建てられている例は、日本中探しても安土城だけ。それが摠見寺(そうけんじ)です。そんな珍しいお寺について紹介します。

1.1) 信長が、自分のために建てた寺

摠見寺は天正年間、織田信長によって安土山中に建立された臨済宗妙心寺派の寺院です。信長は近隣の社寺から建物を移築して、自らの菩提寺としました。

ただ、信長が仏教に傾倒していたから建てた、というわけではありません。同時期、信長は比叡山などと対立しており、仏教に目覚めたわけではありませんでした。むしろ摠見寺には「盆山(ぼんさん)」という石を御神体として置き、信長の誕生日には人々に参詣させて拝むよう命令していました。

つまり、自分自身を「神」として民衆に拝ませる仕組みを、寺という形で作ってしまったわけです。家康や秀吉は死後に神として祀られましたが、信長は生きているうちから自らが崇められる立場になるよう仕向けていました。仏罰さえ恐れなかった信長らしい、宗教そのものを権力の道具として使う発想です。

当時、数多ある信仰のなかで、信仰の対象さえも自分にしてしまうのがすごいですよね!

2) 三重塔

三重塔は享徳3年(1454年)の建立で、摠見寺創建時に近江国甲賀郡の長寿寺から移築されました。安土城が築かれる100年以上前から存在していた塔が、信長によって安土山に移され、今もその場に立っています。

右にある写真は実際に安土城に登った際に、安土城の天守閣があった跡地のすぐとなりに存在しており、それを撮影しました。

最初安土城を訪れた際には、安土城にしか目がなく存在を知らず、初めて安土城を訪れた際にひときわ目立つ古びた建物が存在していて驚きとワクワクしたのを思い出します。

 

 

 

3) 二王門

二王門の棟木には「元亀二年(1571年)七月甲賀武士 山中俊好建立」と記されており、甲賀から安土城へ移されたことがわかります。建立者の山中俊好(やまなかとしよし)は、かつて六角氏に従って信長と戦い、敗北した後に信長の家臣となった人物でした。六角氏とは、1568年に存在した、近江を支配する戦国大名で、織田信長に敗れています。

門の中には、頭部内側に応仁元年(1467年)の銘がある木造金剛力士立像が安置されており、像高は阿形像が212.8cm、吽形像が211.5cmで、ともに国の重要文化財に指定されています。かつての敵が建てた門と、150年近く前から存在する仁王像。安土城の中には、信長以前の時代の物語もたくさん眠っているんです。

右の写真は、安土城に登った際に撮影した画像です。この写真からも、両脇の像を確認することができますね。

すぐ近くで見てみると、細かな傷あとがあり、迫力は満載です!同じ安土城の山とは思えないほど雰囲気が変わっていました。安土城はまだ賑わいのあるような、人が多く通ることを想定されていたことからも雰囲気が明るく、一方でこの門あたりの雰囲気はどこか厳かな雰囲気があり、身が引き締まるような感じになったのを覚えています。一度は体験してみてほしいです!

4) 焼失と、今に残るもの

摠見寺は1582年の安土城の天主崩落の際にも焼け残りましたが、1854年の火災により焼失し、現在は礎石のみが残されています。

18世紀末には仁王門・書院・方丈など22棟の建物がありましたが、火災によりそのほとんどを失いました。現在、大手道の右手にある家康邸跡に仮本堂が建てられており、不定期に特別拝観も行われています。

天主が燃え、本丸が焼け落ちて、お寺自体無くなってしまったが、二王門と三重塔だけは400年以上その場に立ち続けています。安土城を訪れたら、ぜひこの二つの建物の前で、信長以前から続く時間の重さを感じてみてください。きっと厳かな雰囲気を感じることができるでしょう。

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