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大阪城

ここでは、大阪城の魅力について紹介します!!

1) 大阪城ってどんな城?

お城の中でも、大阪城は「天下人のお城」という言葉がぴったりくるお城です。豊臣秀吉が築いたこのお城、ただ大きいだけじゃなく、当時の政治・経済・軍事すべての中心地でした。それだけで、もうワクワクしませんか?

2) いつ、だれが建てたの?

1583年、豊臣秀吉が築城を開始しました。織田信長が本能寺の変で倒れた翌年です。秀吉はここを拠点に天下統一を進めていきます。

完成までおよそ3年。当時の技術でこれだけのものを作り上げたスピードも、なかなか驚きです。その後、大坂の陣(1615年)で豊臣家が滅び、徳川幕府によって再建されました。今の天守閣は1931年に復元されたものですが、石垣の一部は豊臣・徳川時代のものが残っています。

現在の石垣は徳川幕府による再築後のもの。再築時に、徳川幕府が豊臣家の権威を消し去るかのように、大量の盛り土で旧城を丸ごと埋めてしまったからです。勝者の執念、すごくないですか?すごいですよねぇ。
ところで、豊臣時代の石垣は地上では見られないはずだったのですが、昭和59年(1984年)の調査で、本丸の地下に豊臣期の石垣が良好な状態で残っていることが判明しました!!
発見後長い年月を経てついに、2025年4月に「大阪城 豊臣石垣館」として一般公開されました!!約400年ぶりに、秀吉の石垣が人々の目の前に姿を現したわけです。つい最近の出来事です!

3) 大きさ、構成がすごい!

大阪城の敷地は、内堀の内側だけで約87ヘクタール。東京ドームに換算すると約18個分です。さらに外堀まで含めると約270ヘクタール。これは当時、日本最大規模のお城でした。秀吉が「日本一のお城を作る」と宣言していたのも、伊達じゃなかったんです。天守閣は地下1階・地上5層で高さは約58メートル。現代の建物で、約16階から19階に相当します。当時はこれほどの高い建物が他になかったので、どれだけ圧倒的な存在感だったか、想像するだけで楽しくなります。
大阪城は「輪郭式」という構造になっています。中心に本丸があって、その周りを二の丸、三の丸が囲む、同心円状の防衛ライン。どの方向から攻めてきても、何重もの守りを突破しないと本丸にはたどり着けない仕組みです。堀もただの水たまりじゃなくて、幅が広いところで約100メートル近くあります。泳いで渡るのも、橋を架けるのも、簡単にはいかない設計です。

4) 真田丸と大阪城

私が歴史にはまった一因の「真田丸」についてここで少し紹介します!
「真田丸」というのはドラマのタイトルでもありますが、実際に存在した出丸の名前でもあります。出丸というのは、本城から突き出すように作られた出張り防衛拠点のこと。大坂冬の陣で、真田幸村が大阪城の南側に築きました。なぜ南側かというと、大阪城は北・東・西を川と湿地に守られていた一方、南側だけが陸続きで攻めやすい弱点だったんです。そこを補うために作られたのが真田丸。徳川の大軍をここで食い止め、圧倒的な兵力差がありながら大損害を与えました。真田幸村の知略は恐るべしです。
実は真田丸、大坂夏の陣が始まる前に取り壊されています。大阪冬の陣の講和条件として堀の埋め立てが行われ、真田丸も失われてしまいました——あれだけ徳川を苦しめた拠点が、戦わずして消えたというのも、何とも悔しい話ですよね。
ゆえに、二回目の戦の大阪夏の陣では、堀がなくなり丸裸になった大阪城で戦が始まり、豊臣が敗北しました。

5) 築城にかかわった規模

築城に動員された人数は、最大で1日あたり約3万人とも言われています。全国から集められた大工、石工、人足たち。当時の日本の総人口が約1200万人とされる中で、これだけの人を動かせた秀吉の権力の大きさが伝わってきますよね。

城が完成した後、城下町として栄えた大坂には商人や職人が集まり、城の維持・運営に携わる人だけでも数千人規模だったとされています。お城ひとつが、まるごと一つの都市だったわけです。

6) 大阪城の逸話

豊臣秀吉が築いた初代の大坂城は、とてつもなく豪華絢爛でした。中でも有名なのが「黄金の茶室」です。壁や柱はもちろん、茶道具に至るまで全てが金で作られており、秀吉はここで正親町天皇(おおぎまちてんのう)をもてなしました。当時の秀吉は武士の頂点であり、天皇は公家のトップの人物でした。武士である秀吉が自身の茶室に天皇を呼ぶという行為は、天皇を客人とする、つまり「自分がもてなす側」に立つことを意味します。これは暗に、秀吉が天皇よりも上の立場であることを示す、当時としては相当に大胆なアピールでした。黄金という圧倒的な富を見せつけながら天皇を招く——派手好きな秀吉らしい、したたかな権力演出だったんです。

7) 現在の大阪城

右下の写真は大阪城の廻縁(まわりえん)から撮った写真です。廻縁とは、お城の頂上付近にあるベランダのようなものの名称です。

現在の大阪城公園には、天守閣だけでなく、豊臣時代の石垣や門が今も残っています。特に**桜門(さくらもん)**のそばにある「蛸石(たこいし)」は、面積が約36平方メートルもある日本最大級の石。どうやってここまで運んできたのか、今でも謎が多い部分があります。

大阪城に実際に上ってみると、当時と似たような景色を味わうことができますよ。内部には、様々な歴史的資料が展示されていて、当時の物品を目の前で見ることができます。特別公開されるものとして、富士御神火文黒黄羅紗陣羽織柄があります!この陣羽織は秀吉が着用したとされる陣羽織で、私もまだ直接見たことはありません。一度は見てみたいものですね。

大阪城内では、さらに甲冑を着る体験ができたりしますよー。

今では、大阪城は有名な観光名所となっているように、日本史に興味がなくても、歴史初心者の方でも、十分に楽しむことができるイベントが盛りだくさんです。行ったことがあるかどうか関係なく、今一度行ってみてほしいです!!

城内を歩きながら、この石垣の向こうで何が起きていたかを想像するだけで、歴史がぐっと近づいてきます。

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